nobrin's blog

近未来の教育について発信するよ

インストラクショナルデザインの進化: ID Instructional Design

  インストラクショナルデザインは一般的には教授学習理論と呼ばれている。第二次世界大戦時の米軍において、大量の新兵に効率的にトレーニングを実施する目的で開発されてきたという経緯がある。

   インストラクショナルデザインと言えば、狭義には、80年代にさかんにあ研究された認知主義心理学をベースにした、ADDIEモデル等が有名であるが、第二次世界大戦頃からどのように発展してきたかを理解するためには、インストラクショナルデザインが大きな影響を受けてきた、教育心理学の流れを理解することが重要である。
教育心理学の変遷

  1.行動主義心理学

  行動主義心理学は、これまで説明してきているスキナーの影響が大きい。ラットとハトの実験から導きだされたオペランド条件づけの考え方を基本としているが、学習は外部から観測される行動の変化をもって測定されるという極めてシンプルな考え方で人間の能力育成方法への応用を試み、実施にティーチング・マシンまでも作り上げてて大規模に普及しようといた動きが、1950年代のアメリカに実際にあったということは、その素朴さに驚きを感じると同時に、当時学習科学がまだ黎明期であったという事であろう。
 
    2.認知主義心理学
 スキナーの主張するオペダンド条件づけについては、ハトは人間を同類では考え難いという批判を受け、もっと人間の認知モデルに沿った学習方法が研究された。ADDIEモデル以外にも1980年代は様々なIDモデルが提唱されていくことになるが、実際に学校現場で実践されるほど話題にはなっていないように思える。(少なくとも日本においては)
・ここで認知主義心理学をベースとした多様なIDモデルを説明は行わない。当時のIDはシステム的アプローチの考え方をとり入れ、いかに効率的に学習が行えるかに注目していた。これは、CAIや、インターネットを介したCAIとしてのWBT( Web Based Training)を有効性を説明する道具として引き合いに出されてきたという側面も否定できない。
・しかし、Instruction , Traing という言葉の響きは、企業での効率的な知識伝達という文脈の言葉であっても、学校現場での違和感が残っていた。
 
    3.構成主義心理学
・2000年頃、IBMが e-Businessという標語でプロモーションを開始すると、WebBased Trainingという言葉から、 e-Learningという言葉への変化が促進されていった。e-Learningという語感は、教師から生徒に知識を注入するという知識のデリバリーモデルから、「学習とは、学習者が自ら知識を構成する」という構成主義の考え方の広がりとも符合し、当時の納得感を得ていった。
構成主義的学習感は、21世紀に入って、ソーシャルメディの普及と符合する形で、人と人との相互作用の中で学習が構成されるという、社会的構成主義の考え方へと発展していった。   

参考情報

CAI : Computer Assisted Instruction

PLATO (Programmed Logic for Automated Teaching Operations)

  アメリカでは、1950年頃大学進学者が増加し、教育の効率化への関心が高まっていた。その頃コンピュータが業務の自動化(オートメーション)で次第に使われ始めており、コンピュータを利用した教育を効率化への関心が高まっていた。1957年旧ソヴィエト連邦は人類初の人工衛星 Sputnikの打ち上げに成功し、アメリカは大変大きな衝撃を受けることになる。それにより、アメリカは一層科学や工学の教育に力を入れるようになり、コンピュータを利用した教育の効率化は国家的戦略に位置付けられた。

  

  PLATOはイリノイ大学で開発された、最初のCATシステムであり、約40年間にわたり小学校から大学で利用され続け、最後のシステムは2006年に停止した。(開発はControl Data社) PLATOは、オンラインシステムを確立し、フォーラム機能や、メッセージ、ボード、オンラインテスト、e-mail、チャットルーム、絵文字、インスタントメッセージ、リモート画面共有、マルチプレーターゲームなどの機能を有していたという点で画期的なシステムである。PLATOⅢは、によるレッスンモジュールの開発用にTUTOR Programming Languageを導入した。 初期のPLATOⅠのディスプレイはテレビであったが、1972年にPLATOⅣは、512×512サイズのbitmapプラズマディスプレイを採用しさらには、16×16グリッドのタッチパネル機能も有していた。

 

 マイクロプロセッサーの進歩により、インテル8080を搭載したPLATOⅤターミナルが作られた。(この時ホスト側はまだPLATOⅣであった)今日のPCのようにローカルにアプリケーションを実行できるようになった。 1972年にはXerox PARCから調査団がイリノイ大学に来て、Shown Display技術などを見学した。Xeroxでは後にグラフィックス描画プログラムとして Starワークステーションに実装されていくことになる。その他にも多くの技術が Palo Altoに持ち帰られ、最終的にはAppleに引き継がれていった。

 1975年にはPLATOシステムは、150の地点にサービスを提供するほど拡大した。しかし、ターミナルは 12,000ドルと高額であった。

 

 

参考資料

https://ja.wikipedia.org/wiki/PLATO

 

 

 

 

ティーチング・マシンの評価

   1960年代初頭にアメリカ社会に急速にティーチング・マシンが普及したにもかからず、1960年代後半には一部の企業や軍の特殊なトレーニングで使われる以外は、学校などの教育機関ではほとんど使われなくなっていた。実のところ、1960年代前半でも、"鳩を教育するように、人間を教育できるのだろうか?"とか、"機械が教師に置き換わることができるのだろうか?"といった批判的な意見がすでに出ていた。このような、ティーティング・マシンの非人間的な側面が、教師からの批判を盛り上げ、また、優良な教材が不足していたことも普及の障害になっていた。
 このような状況の中で、ティーティング・マシン推進派の人々は、当時急速に発展しつつあったコンピュータを利用して、ティーティング・マシンをCAI(Computer Assisted Instruction)として実現しようとした。そして、1960年代には既に重要な2つの初期のCAIシステムが開発されていった。それらは、スタンフォード大学の「IBM 1500 Instructional System」、イリノイ大学の「Programmed Logic for Automatic Teaching Operations (PLATO)」である。しかし、1960年代におけるCAIはまだ大型コンピュータ上のシステムであり、限られた一部の教育機関で利用されていたにすぎない。その後、コンピュータは1970年代~80年代における価格性能比の向上により、パーソナル・コンピュータとして誰でも利用できるようになった結果、CAIが学校・家庭あるいは企業などで活用されるようになっていった。

ティーチング・マシンをめぐる時代背景


  シドネィー・プレッシーがティーチング・マシンを提案した1930年代は世界恐慌の影響で不景気な時代であり、教師数も過剰であった為に、教育を自動化して効率を上げたいという社会的なニーズがなかったと言える。一方、スキナーが活動した1950年代は第二次世界大戦中にオートメーションの気運が高まった後であり、教育においても、動画が多くの軍人教育で効果的な利用された成功体験を引き継いでいた。また、1950年代後半になると戦後ベビーブーマの人口増加に伴い、60年代には教育を効率化が社会問題化していた。さらに、旧ソヴィエトがスプートニク(Sputnik)を打ち上げた(スプートニクショック)ことにより、アメリカにおける科学と数学教育の向上が国家戦略として位置づけられることになり、速く学習できるティーチング・マシンを受け入れる社会的状況が整っていた。その結果、1960年代には60数種類もの異なったティーチング・マシンが販売されるに至ったのである。

シドネィー・プレッシー(Sindy Pressey)のティーチング・マシン

 シドネィー・プレッシーは、スキナーやクラウダーより早く1920年代には、ティーチング・マシン(Machine for Intelligence Tests)を考案していた。プレッシーのティーチング・マシンには、テスト(Test)モードと教授(Teach)モードの2種類のモードがあり、テストは4つの選択肢から解答を選ぶ多肢選択式を採用していた。教授モード時には、前のテストに正解しなければ次のテスト問題を表示しない仕組みとなっていた。その後プレッシーは改良版のティーチング・マシンを発表し続け、1930年頃には実機が製作されたが、ほとんど売れなかった。

クラウダー(Norman Crowder)のティーチング・マシン(Automatic Tutor Device)

  クラウダーは、スキナーと同時代に別の形のプログラム学習を提唱した。クラウダーのプログラム学習は、「ブランチング」(Programmed branching method)を特徴としている。スキナーのプログラム学習では、予め定められた順番に沿って「フレーム」(学習コンテンツの塊)が提示されるが、クラウダーのプログラム学習は、テキストで「フレーム」が示されたのち、テスト結果に応じて、正解者にはより詳しい説明コンテンツが示され、不正解者には1ステップ前のフレームに戻って再学習するように分岐する方式である。学習者は選択的にその分岐を選ぶことが可能であり、理解の誤りを修正するコンテンツへの分岐と、未理解を埋めていくコンテンツへの分岐などに分かれている。

スキナーのティーチング・マシン

 スキナーは、実際にティーチングマシンTeaching Machine)を開発した。冒頭のリンクからそのティーチングマシンが学校で使われている様子と、スキナー自身による説明の動画が参照できる。ティーチングマシンは、まさにスキナーが提唱した、プログラム学習を実践するシステムとして実際に製造され、60年代初頭には多くの学校に実際に導入されたようだ。

◾️参考映像