nobrin's blog

近未来の教育について発信するよ

ティーチング・マシンをめぐる時代背景


  シドネィー・プレッシーがティーチング・マシンを提案した1930年代は世界恐慌の影響で不景気な時代であり、教師数も過剰であった為に、教育を自動化して効率を上げたいという社会的なニーズがなかったと言える。一方、スキナーが活動した1950年代は第二次世界大戦中にオートメーションの気運が高まった後であり、教育においても、動画が多くの軍人教育で効果的な利用された成功体験を引き継いでいた。また、1950年代後半になると戦後ベビーブーマの人口増加に伴い、60年代には教育を効率化が社会問題化していた。さらに、旧ソヴィエトがスプートニク(Sputnik)を打ち上げた(スプートニクショック)ことにより、アメリカにおける科学と数学教育の向上が国家戦略として位置づけられることになり、速く学習できるティーチング・マシンを受け入れる社会的状況が整っていた。その結果、1960年代には60数種類もの異なったティーチング・マシンが販売されるに至ったのである。